久 本 寺
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久本寺の沿革・歴史

久本寺(くほんじ)は、日蓮大聖人を宗祖、日隆聖人を門祖とする本門法華宗の寺院である。
開基は、讃岐国(香川県)の戦国武将 但馬守久本重時公であり、重時公が出家得度して妙住院日理と称し、平野郷 塩屋新兵衛の外護を受けて、永禄五年(1562)当山を草創建立した。通常の寺院は○○山といって山号を冠するが、当寺は本山に準ずる寺格であったので山号を有しない。

大坂冬の陣・夏の陣の後、寛永六年(1629・徳川三代将軍家光の時代)当山三世善住院日言上人代に、元祖天王寺屋秀綱が中心となり現在の本堂(十間四面・百坪)が創建された。更に、慶安元年(1648)に初代天王寺屋五兵衛光重が願主となり客殿(八十八畳敷)、慶安三年(1650)に天王寺屋作兵衛が大施主となり庫裏を建立し、その後山門、番神堂、鐘楼、土蔵等の伽藍が整備された。第二次世界大戦の戦火を免れ、創建当時の伽藍を維持する貴重な建造物群である。

伽藍建立の功労者、天王寺屋五兵衛は姓を大眉と言い、聖徳太子が四天王寺を建立(593)したとき、その用材を調達することに功があり、その故事により天王寺屋を称し、元和元年(1615)住吉遠里小野村から大坂今橋に移り住み、大坂で最初の両替商(銀行業)を開いた。両替業の他、蔵元・掛屋になり大坂有数の豪商であったが、幕末維新の変動期に、銀目廃止や大名貸しの回収不能により閉店を余儀なくされ、その後絶家となる。元祖天王寺屋秀綱から九代天王寺屋五兵衛歓全までの墓がある。

天王寺屋の他、泉屋住友家も当寺の信者で、大坂鰻谷に銅吹所(精錬所)を設立し、住友財閥の基礎を築いた二代住友友以(浄泉院)の死後、その妻(宝泉院)が夫の追善菩提の為、寛文八年(1668)当山四世瑞林院日啓上人代に脇本堂として祖師堂(平成三年老朽化のため除却)を寄進した。住友家二代友以夫妻から五代友昌までの墓がある。

寺宝として、日蓮大聖人や日隆聖人等の御本尊、日蓮大聖人「下山御消息」及び「法蓮鈔」御真筆断簡、長谷川等伯筆「黄初平図」、土蔵宗種筆「釈迦三尊像」、狩野常信筆「寒山拾得図」、墨江武禅(すみえ ぶぜん)蔀関月(しとみ かんげつ)筆の障壁画等がある。

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